ラブもサスペンスもいらない

もっとおふざけしていよう

中二病の薄め方を知りたかった

こんにちは、お元気ですか。

皆さんは思春期の時に中二病にかかりましたか?
私はしっかりかかっていました。
中二くらいの時もブログをやっていたんですけど、名前とかプロフィールとか基本情報のところはモッサリ中二病しておりまして、書いている内容も一瞥すると何のことを書いているのかよくわからない自己陶酔にヒッタヒタに浸っていたものだった気がします。

そんなブログも仲のいい友達に見つかって「なにこれヤバすぎ()」という反応をいただき、「あっ!!これすごい恥ずかしいやつなんだ!!」と我に返り、急いでブログを抹殺して私の中二病は終りました。

大人になって思います、あの中二病を上手く昇華できた人がお話を書いたり、ファンタジーな絵を描けたりするんだろうなって。

中二病を痛いところまで行かずに、カッコいい・素敵・収まりのいいところに持っていけるバランス能力
どこで身に着けるんでしょうか
教えて欲しい

中二病を封印してしまったので日常のささやかな妄想・想像などの筋トレを全くせずに大人になってしまいました。今更鍛え方がわかりません。

作家の湊かなえさんは言っていました、「大人になるまで小説は書いたことなかったけど、街中のカップルなんかを見て関係性やここに来た過程などを想像して、頭の中で二人の話を勝手に作って楽しんでいた」と
作家の森博嗣さんは言っていました「人が二人いたら話は勝手に出来上がる」と

架空の人間を頭の中に生成するのがとても困難なんですが
なぜなのでしょう
人間を産む苦しみを空想の中でも適用させてしまっているのでしょうか
なぜそんなことになっているのでしょうか

話は変わりますが、私が夫にとある概念に対してこういう感想を抱いたとか、この作品が良かったということを言うと「その概念自身はどういったものなのか」「その作品はどういうところが他と違っていいのか」という質問を受けるので、文化資本の差を感じつつ、なんとなく「これいいよね」という気持ちを共有できない苦しみを抱えつつ、でも私の気持ちを伝えたいので毎度毎度質問に対して答えていたのですが、最近そういった質問を先越して私が前述したようなことを伝えたところ「たおって分析的だよね」と言われて「お前のせいだよーーーーーー!!!!!」となった事件がありました。

わかりますか
私は現実を子細に分析する筋トレしかしていないのです。
現実で他人と対峙したとき、この人はどういう暮らしぶりで、どういう構え方で私としゃべっているのか、周りの人はどういう人が多いのか、私とどういう気持ちを共有したいのか、本当は何をしたいのかということを感じ取ることにかなり注意を向けるようになりました。
また何かを観るとき・聴くときはどの時代に作られて、どの時代のものを作っていて、どんな気持ちで作っていて、どんなものを作っているのか、私はどこに・誰に惹かれているのかを感じ取るようになっています。
私が写真を撮ると報道写真としかいえない写真しか撮れません。いつもブログに貼っている写真は私が撮ったものです
このブログも現実の現象と私の心情の移り変わりを記事にしていることが多いですし、私の描く絵も模写しているようなものばかりです。ブログの背景のウサギさんやプロフィールの鳥は私が描いたものです

現実に物語性を持たせることがどうにもできない。
だって現実にあるのは現実しかないんだもん!!

現実の解像度が他の人より高いのかもしれない。
それはそれで豊かな世界なんだけれども、世界を作り出せる人への憧れはどうにも捨てられなさそうです。

たお

椎名林檎の「ギプス」を弾き語りました