ラブもサスペンスもいらない

もっとおふざけしていよう

ブログを書くときのいつものこと

今週のお題「日記の書き方」

 

こんにちは、お元気ですか。

私は大体PCを使ってブログを書いています。
スマートフォンだと改行の具合がよくわからないとか、すごく文字がいっぱいあるように見えて野暮ったい気持ちになって書く気分が削がれるとか、変換機能があまり優秀でないので変換の内容に気を取られてしまって書きたいことを記入するまで邪魔が入るのが嫌だなと思うのでスマートフォンはあまり使わないです。

PCだと昔から馴染んだキーボードですし、タグつけたいとか画像つけたいとか、Youtube貼りたいとか、やりたいことがスムーズにできるようになっている(そういう設計になっている?)のでPCで書いていることが多いです。

下書きもあまり使わないです。
何かに出会って感情のバロメーターが一定以上になると「よし!これについて書こう!」と思うんですけど、時間を置くとバロメーターが下がってしまっていて、下書きの途中から書いていても「面白くなるようにこねくり回してない?」みたいな記事になっていってしまうので、基本下書きは無しで書いています。

気を付けていることは、読んだなーと思える記事を書くことです。
読み終わったときに「この記事はこういうことが言いたい記事だったんだな」とわかるような充実感があるように気を付けています。

あとは「なんか前と言ってること一緒だよね」という内容にならないように気を付けています。
書いている人の主張が一貫していることも大切だとは思いますが、私に軸があってその軸を基準に物事をみていますよと言う風に人生を生きるのはまだ早いなと思っていて、何かに出会って、違和感や純粋に感じた気持ちを詳細にとらえて世界を理解していきたいなと、そういう段階に今は居たいなと思っています。
私にとっては私自身も出会ったものも観察物の一つで、まだ記事数も少ない現在ですが、長い目で見て私がどんな人間で世界はどうなってるのか読者の皆さんと私の五感をもって理解していけたらいいなと思っています。
なので、一般的に起こされる感情に引っ張られることなく、私が私の人生を生きてきて積み重ねた価値観から物事を純粋に見ていくことを大事にしています。

また、どんな人が見ても読みやすいように心がけることはしていないです。
どんな人が見ても読みやすいってことは、読んでいるときに自分の存在を感じながら読むってことじゃないですか。
本とか映像作品で物語に触れているときって、現実や自分を忘れて没入できる。
その物語の登場人物になってものが見れるって、普通はできないことじゃないですか。
SF好きとしてはわかんないなりに理解していく経験ってなんかすごくいいなと思っていて、なんていうか自分に馴染みのない方言の会話を聞いてるのと感覚が似てるのかなと思います。
わかんないなりに聞いていて、ちょっと言葉の意味がわかってくると嬉しいし、言葉の端々に感じられるその人の背景や、その土地の風土みたいなのが会話からわかって世界が一つ広がっていくっていうのは結構豊かな体験だと思います。

あとは、書き方にこだわらない。
何処で句読点を打つとか、ここで説明文を終わらせてから、自分の思っていたことを書くとか、そういった国語の作文の形式にあえてこだわらない。
何かを説明しているのに、感情を話したり、話の流れがこんがらがったり。書き方にこだわると書き言葉になっていって、私の純粋な感情が型にはまっていっちゃうような気がするので、話しているように、感情が流れるように、そのまま書けますようにという風に気を付けています。

他にも細かいことが色々でてきますが、全部書いちゃうとまたそれに縛られちゃうし、今回はこの辺で!

たお