ラブもサスペンスもいらない

もっとおふざけしていよう

ラーメンという文字を食べている

こんにちは、お元気ですか。

この前ラーメンを食べました。
結構甘いものを食べていたので塩分濃度の濃いものが食べたいなと思い、近所の町中華に行きまして醤油ラーメンをいただきました。
巷ではラーメン好きの方が結構いらっしゃるようですね。私の友人にもラーメンを食べ歩くのが趣味だったり、居酒屋の締めにラーメンを食べないと気が済まない人などがいます。

私は外食をする際、お店の味を分析し情報を頭の中に蓄積しています。
未来に訪れる「今はこういうものが食べたい。」という気持ちにスッと寄り添い、いい気分になるためにとても大切な情報です。
しかしラーメンは、なぜかラーメンだけは全然記憶に残せません。
様々な味のラーメンを食べてきましたが、様々な味(醤油・塩・豚骨など)のそれ自体の特徴はもちろんわかるのですが、このお店は普通と比べるとどうだという分析が全然できないのです。
まるでラーメンと言う文字を食べているような気持ちです。
「このラーメン美味しい?」と聞かれると「うん。ラーメンだね。」という回答になってしまいます。
私はすごく不思議なのです。
巷にはラーメン好きが沢山いて、多分このお店はスープがどうとか、麺がどうとか、具がどうとか、なんとか言ってると思うんですけど、そういった差異について全然感知できないのです。
少しはありますよ。このラーメンはこの味だっていうものが。
チキンラーメンとかカップヌードルとか一風堂とかスガキヤとか。
でも、それらを食べるときはラーメンとして食べるんじゃなくて、そういう名前の食べ物を食べているという感覚なのです。
チキンラーメンと言うものを食べているという感覚なのです。
別のお店の豚骨ラーメンを食べたとて、「一風堂とこういうところが違う豚骨ラーメン」ではなく、「うん。豚骨ラーメンだね。」となります。
私の中で全く被りそうにないのです。
だから不思議なのです。ラーメン好きとこんなにも分かり合えないのが。
私もラーメン好きも同じ人間で、ラーメンを食べることができるのにこんなにもわからないのが不思議なのです。
この前食べた醤油ラーメンも5回くらい「あの時食べたのは塩ラーメンだった。」と心の中で唱えてしまえば、塩ラーメンにすり替わりそうな勢いです。
ラーメンだけがそうなのです。
すごく不思議なのです。

たお

中村佳穂の「さよならクレール」を弾き語りました(いつもより音が大きいかもしれない)